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2011年9月 6日 (火)

「ふたりのルイエ」プログラムノート その2

ロンドンのルイエが生まれたのは、受洗の記録によると1680年。
ゲントのルイエもその記録によると1688年。
従兄同士で、ふたりとも現在のベルギーのゲントに生まれました。

ふたりの違いは、ロンドンのルイエが20代でロンドンに移り、50歳で亡くなるまでそこで活躍したのに対し、ゲントのルイエはリヨンの大司教に仕え、フランス圏から出ることなく30代で亡くなったこと。

「プログラムノートその1」でも書きましたが、当時のロンドンはリコーダーブームでした。ジョン・ルイエがリコーダーソナタを書いたのはわかるのですが、フランスのリヨンの大司教に仕えていたゲントのルイエがなぜわざわざ「リコーダーのために」と銘打ったソナタを48曲も書いたのでしょうか?


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当時のフランスでの音楽家の花道は一番はベルサイユの宮廷の音楽家になること。次は貴族の館の音楽家になり、パリのサロンで活躍することでした。


今の交通事情とは違い、リヨンはかなりの田舎だったはず。そしてフランスの音楽家としての出世が望めなければ、音楽の消費地であったイギリスで人気の楽器、リコーダーのために作品を書いて楽譜が売れればいい!とルイエは思ったに違いありません。


今回プログラムを決めるためにザーッと48曲のソナタを見てみたのですが、苦心の作、というか、本当に色々なタイプを作ろうと頑張っていたのがわかりました。


作品は、やはり当時大流行のイタリア様式で書かれていますが、これも同じ理由でしょう。


フランスの田舎で、楽譜を売るためにせっせと工夫いっぱいのリコーダーソナタを書いていたゲントのルイエ。


早世した、ということも併せて考えるとなんだか切なくなってしまいます。

Flower04


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