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2011年9月

2011年9月30日 (金)

中高生の皆さんへ:コンサートのお知らせ

11月3日(木・祝)、川崎市麻生区の麻生市民館大ホールで、桐朋学園古楽器科講師によるレクチャーコンサートがあります。

19歳以下は無料。

コンサートの後には古楽器体験のコーナーもあります。(中高生のみ)

リコーダー、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・オーボエなど体験できますよ。

これはどうしても始めるのが遅くなりがちな古楽器を、若い人に知ってもらおう、という試みだそうです。

もし周りに該当する方がいらしたら、ぜひお勧めしてください。

詳しくはあさおみどりのコンサートで。

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2011年9月28日 (水)

気持ちを伝えること

コンサートが終わって、10日ほど過ぎました。

聴いて下さった方から、電話で、はがきで、メールで、口頭で、たくさんたくさんご感想をいただきました。

なによりのご褒美です。

何かを見たり、聞いたり、感じたことをタイミングよくその相手に伝えることは意外と難しいものです。

皆さん、とても上手。

私も見習います。

全く反射するもののない世界で音をいくら発しても、それは音にならないのですって。

光も、そうなのですって。

上手に反射するものになって、お互いに響き合えたら、お互いに光ることができたら、

本当にいいな、と思います。


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2011年9月20日 (火)

ガン?!…が~ん…

ここのところ忙しかったので、あまりかまってあげてなかったロンとゆっくり。

ごろ~ンとするロンのお腹をなでていたらなにか変なものが!

お肉の塊のようでもあるし、皮膚の出っ張りのようでもあるし、色は黒い。

位置的に乳首かと思い、反対側や、全身くまなく探したけれど、そこ一か所で他にはない!

知人から数ヶ月前に聞いた「10歳過ぎたあたりで皮膚がんになって手術したの」という話が脳裏をよぎる。

ロンは11歳…こんなもの今までなかった…まさか、まさか、これが犬の皮膚がん?

父が亡くなったのは私の最初のソロコンサートの3ヶ月後だった。

どうしよう、今度はロンだったら。

パニックになりつつ動物病院へ。

やさしい獣医さん、にこにこして、「心配ですねえ、でもこれ、乳首です」と一言。

え~っ,でもこれ一つしかない!と言うと、またもニコニコ、やさしく説明してくれた。

オスでも犬には複数個の乳があること。

左右で対になってるとは限らず、5個だったり、6個だったり数も違うこと。

肉の塊のように飛び出てきたのは加齢による皮膚のたるみ、または老齢性いぼで、悪いものではないこと。

ただ飛び出ているのを気にして舐め壊してしまって炎症を起こすことがあるので、時々注意すること。

ほとんど涙目で飛び込んできた私に、「ホントに良かったですねえ」と、ひたすらニコニコ。

ありがとう、獣医さん。

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死んだふり?

どこでもごろ~ん。


2011年9月19日 (月)

満員御礼!セカンドソロコンサート

昨日、第2回目のソロコンサート「ふたりのルイエ」が無事に終了しました。

ずっとアンサンブルのメンバーとしてリコーダーの演奏をしてきて、一度だけソロでやってみようと思いきったのが4年前。ソロは、もうそれ一度だけでいいと思っていました。

その後、最愛の父、大切な友人を失くし、3月にはあの震災が起きました。

限りある生を精いっぱい、悔いのないように生きることが、いま生きているものにできるたった一つのことだと思います。

私のできることを精いっぱいやっていきたいという欲が出て、今回のコンサートにつながりました。

お陰さまでほぼ満席で開催することができ、たくさんのお客様に聴いていただけました。

普段出不精な私は、こうして出かけてくださるだけでも大変なことだと思うので、とても感激しています。

アンコールの時に皆様に「感激しています」とお伝えしたつもりだったのですが、あとで録音を聴いてみたら、早口で何を言ってるかわかりませんでしたので、改めて。

昨日はお忙しい中、お暑い中をお出かけくださって、本当にありがとうございました!


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昨日の写真を1枚も撮らなかったので、いただいたお花たちを。

ほかにも色々プレゼントをありがとうございました

2011年9月16日 (金)

コンサートの二日前

「ふたりのルイエ」の最後のリハーサルをしてきました。

チェンバロの古賀裕子さんは私の大学時代からのあこがれの先輩です。

ソリストとして素晴らしいだけでなく、人をやる気にさせる名人。

パートナーとしても、指導者としても、素晴らしい資質をお持ちです。

明後日の本番が楽しみです。

お陰さまで残席もわずかになってきましたが、

当日券も10数席ほどは出る予定ですので、ぜひ聴きにいらしてくださいね~


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2011年9月 7日 (水)

「ふたりのルイエ」プログラムノート その3

ふたりのジャン・バティスタ・ルイエのリコーダーソナタはどれもイタリア様式で書かれています。絶対主義国家であり、文化にも独自の様式感を持っていたフランスの音楽に対し、小国の集まりであったイタリアの音楽はもっと自由で、楽譜の購入者である富裕層の音楽愛好家にとても受けていたことが、その理由だと思われます。

昔、自分が音大の学生だった頃、フランスの装飾のやり方、というのを習い、その後イタリアの装飾をやりました。
フランスの装飾はその種類によって形が決まっているので、わかりやすく、イタリアの装飾は「自由にやって」といわれるとどうしていいのか分からず、とても難しく感じました。
なので、自分の中では「フランスの装飾は簡単で、イタリアのは難しい」という図式が出来上がっていました。


ところが、実際にアマチュアの愛好家の方のレッスンをするようになると、実はそうではない、と思うようになりました。


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2011年9月 6日 (火)

「ふたりのルイエ」プログラムノート その2

ロンドンのルイエが生まれたのは、受洗の記録によると1680年。
ゲントのルイエもその記録によると1688年。
従兄同士で、ふたりとも現在のベルギーのゲントに生まれました。

ふたりの違いは、ロンドンのルイエが20代でロンドンに移り、50歳で亡くなるまでそこで活躍したのに対し、ゲントのルイエはリヨンの大司教に仕え、フランス圏から出ることなく30代で亡くなったこと。

「プログラムノートその1」でも書きましたが、当時のロンドンはリコーダーブームでした。ジョン・ルイエがリコーダーソナタを書いたのはわかるのですが、フランスのリヨンの大司教に仕えていたゲントのルイエがなぜわざわざ「リコーダーのために」と銘打ったソナタを48曲も書いたのでしょうか?


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